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日本光研の発祥・沿革 - 日本光研工業株式会社-パール顔料等光輝性顔料のご提案

日本光研の発祥・沿革

当社について

日本光研の発祥・沿革

日本光研の発祥・沿革

戦後まもなく、新宿区百人町4-400番地に東京文理科大学大久保分室が設置された。此処は元陸軍技術研究所第6~第8研究所の跡である。占領軍の接収をまぬがれた、焼夷弾の弾痕が残る大正時代の二階建て赤煉瓦の建物と周囲の建物において、日本で最初の合成真珠顔料の研究が開始されたのである。

この広大な旧陸軍の技術研究所跡には、東京教育大学光学研究所、地質研究所、蚕糸研究所、都立衛生研究所を始めとする研究施設が軒を並べていた。周囲は高さ3メートル以上の土手がめぐらされ、鬱蒼とした葛に覆われていた。まさに「廃墟」の感があった。また大久保分室は1949年(昭和24年)、東京教育大学付置光学研究所に改組され、日本で唯一の光学研究所となった。

もっとも最初は鰯の鱗を精製した魚鱗箔の研究であった。一年程で完成するも情報不足で、既に国内では太刀魚の魚鱗から模造真珠が作られていたのである。漁獲量の問題もあるのでこれを諦め、方向転換を余儀なくされたのである。

藤岡 由夫 先生

藤岡 由夫 先生

昭和24年 東京教育大学理学部長に就任
昭和25年 光学研究所所長を兼任
昭和26年 学術会議会員
昭和33年 国際原子力機関アイソトープ部長としてウィーンに着任
昭和35年 埼玉大学学長に就任
昭和43年 山梨大学学長に就任
昭和48年 勲二等旭日重光章を受章
昭和51年 逝去(享年73歳)
蓮 精先生

蓮 精先生

昭和17年 東京文理科大学物理学科を卒業
昭和28年 東京教育大学助教授に就任
昭和34年 理学博士の学位を授与
昭和34年 東京教育大学教授に就任
昭和53年 筑波大学教授に就任
昭和57年 定年退官 筑波大学名誉教授
平成 4年 勲三等旭日中授章受章
平成11年 逝去(享年80歳)

終戦後、東京文理科大学(後の東京教育大学)付置光学研究所の所長であった藤岡由夫教授は、日本の復興について種々研究内容を模索検討の結果、貿易による外貨獲得が急務であると判断、人工真珠の主原料である真珠顔料の研究開発を蓮 精助手(当時)に命じた。蓮助手は魚鱗の物性研究の結果、真珠顔料の具備すべき条件を見出し、この条件を満足する化学合成品の開発研究に着手した。

1946年(昭和21年)頃、蓮 精、宮崎直らによって、鰯の鱗の精製により魚鱗箔製造法確立後、1949年3月(昭和24年)、同氏らにより、合成真珠顔料第一号箔のチオ硫酸鉛の結晶生成に成功した。これを模造真珠業界に評価を仰いだところ、当時の模造真珠業界の組合長であった米田若信氏はその成果と必要性を認め、真珠箔の共同研究を提案され、資金援助を申し出られた。しかしながらこの第一号箔は、耐光性が悪く、実用にならなかった。第二号箔はチオ硫酸バリウムである。しかし光沢が悪く、これまた真珠顔料としては使用できるものではなかった。当時の研究員は蓮先生の指導のもと、巨勢寛、塩原都、一丸哲也、小高庸弘らである。

資金や時間的に追い詰められた研究陣は、不退転の決意で次の研究に取りかかった。屈折率の点から鉛化合物の研究の結果、第三号箔(塩基性炭酸鉛箔)の結晶析出法を発見した。こうして1951年(昭和26年)には文部省の助成金を得て、量産化研究に着手した。翌1952年(昭和27年)、中間工業試験のためパイロットプラントを設置し改良の結果、約1年余りで初期の目的を果たした。このころから相前後して森誠一、井川喜智夫が、研究に参加した。

1954年(昭和29年) 大河内記念技術賞受賞 蓮 精、巨勢寛、塩原都、一丸哲也
1954年(昭和29年) 財団法人応用光学研究所を設立
理事長 藤岡由夫、 理事 大塚明郎、蓮 精、
研究員 巨勢寛、一丸哲也、森誠一、井川喜智夫
1955年(昭和30年) 日本光研工業株式会社を設立(11月)
代表取締役社長 藤岡 幸二(元松風陶器社長)
専務取締役 巨勢 寛(元財団法人応用光学研究所研究員)
取締役 片桐 孝一(旭化成工業株式会社副社長)
取締役 米田 隆一(株式会社米田若松商店社長)
相談役 藤岡 由夫(東京教育大学教授)
監査役 島原 八太郎(吉美産業株式会社社長)
顧問 大塚 明郎(東京教育大学教授)
顧問 蓮  精(東京教育大学助教授)
資本金 800万円
出資 旭化成工業株式会社、株式会社米田若松商店、財団法人応用光学研究所ほか
所在地 東京都板橋区志村中台町2,487番地

こうして塩基性炭酸鉛箔を主剤とする日本光研箔(商品名)の製造販売を開始した。

会社沿革

和暦西暦会社沿革
昭和30年 1955年 11月 東京都板橋区に資本金800万円で設立
昭和35年 1960年 11月 大阪営業所開設(西区京町)
昭和38年 1963年 5月 現在地に工場移転・稼動(26,772㎡)
昭和39年 1964年 8月 東京営業所開設(千代田区神田鎌倉町)
昭和40年 1965年 2月 日本パール紙業株式会社設立:資本金200万円
昭和43年 1968年 9月 資本金7,008.5万円に増資
昭和43年 1968年 9月 日本ポリマー株式会社設立:資本金2,000万円(旭化成工業共同出資)
昭和55年 1980年 9月 国内初のパール塗装車にPEARL GLAZEが採用
昭和59年 1984年 9月 人工オパール製造販売開始(定款変更)
昭和60年 1985年 2月 化粧品基材の製造販売開始(定款変更)
平成4年 1992年 9月 本社現在地に新製品開発工場(現第4倉庫)建設
平成6年 1994年 8月 本社現在地に化粧品工場(現第4工場)増設
平成9年 1997年 12月 日本パール紙業:株式会社ニッパルに商号変更
平成10年 1998年 1月 合成マイカパール ULTIMICA・PROMINENCE製造販売開始
平成12年 2000年 4月 InfiniteColorのOEM製造販売開始
平成14年 2002年 11月 ISO-9001認証取得
平成17年 2005年   化粧品用パール顔料GENESTAR製造販売開始
平成18年 2006年   化粧品用着色パール顔料Hifeset製造販売開始
平成22年 2010年   化粧品・工業用パール顔料TWINCLEPEARL製造販売開始
平成23年 2011年   化粧品・工業用パール顔料SILSEEM MistyPearl・Silture Grasense製造販売開始
平成26年 2014年 12月 化粧品用パール顔料 FANTASPEARL製造販売開始
平成28年 2016年 2月 化粧品用合成マイカNK-G製造販売開始

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